
なんと、「バブルへGo!」という映画が公開されるらしい。バブルは歴史になりつつあるのだ。バブル経済を検証する本も多数出版されている。
経済は今が大事だし、将来が最も大事であろうが、過去も大事だと思う。そして、短い間にあらゆることが起きたあのバブル時代は貴重な教科書となる。
本書は、阪神大震災、1ドル80円割れの超円高が起こる前、日本はひょっとしたら年明けから景気回復か?と言うムードがあった94年に出版された。著者の大きな動機となったのは、93年、当時の宮沢蔵相が語った「またバブルになったら乾杯しましょうよ」という言葉であったという。政治家、大蔵省、日銀、経済企画庁、銀行、証券、不動産、様々な当事者が「間違った」バブルという時代、その群像とともに各場面で経済指標がどのようなシグナルを発していたかが鮮やかに描かれている。高みから見下ろした批判になっていないのは、その群像の中に経済記者であった自らを置き、90年12月に書かれた囲み記事を全文、俎上に載せ、「わが懺悔」としておられる著者の真摯な姿勢による。
私は金融関係の講座をさせていただく時、本書をいつも読み返している。できる限り、時代と人間を感じる内容にしたいという思いからである。他にも、日本の復興のために命をかけたエコノミストが描かれた「エコノミスト三国志」、同時代の闇の部分が描かれた「東京アンダーワールド」も経済を学ぶ上で素晴らしいテキストとなると思う。正反対の世界だが、どちらもまぎれもなく日本なのだなあと感激してしまう。
2007年1月
第二次大戦直後、大空襲に廃墟と化した日本とは、いったいどのような状況だったのでしょうか?平和な日本しか知らない世代には想像もつかない悲しみ、喪失感、絶望感とは…。しかし、誰もがご存知のように、この廃墟からの再生は奇跡のように早く成し遂げられました。そして、その時代に命がけで日本の復興に力を尽くしたエコノミスト下村治を描いたのが「エコノミスト三国志−日本経済を創った男達−」著者 水木楊(文春文庫)です。
「自分の予測にすべてをかける。知力、体力、そして名誉も。少なくともこの頃のエコノミストはそうだった。自分の予測に基づく経済政策が国民を貧困から救い出せるという確信と使命感に満ちていた。(同書より抜粋)」今、エコノミストという職業と「命がけ」という言葉はつながらないような気がしますが、かつての日本には確かに存在したのですね。下村治は佐賀出身。佐賀藩と言えば、あの「武士道とは死ぬことと見つけたり」の葉隠精神の土地です。下村にもその県民性が色濃く流れていたのかもしれません。
さて、これと同じテーマを沢木耕太郎も描いていたことは、最近まであまり知られていませんでした。それは「危機の宰相」。こちらは、高度成長を実現した首相・池田勇人、エコノミスト・下村治、参謀・田村敏雄の3人の物語。1977年文芸春秋7月号に掲載されたものの(二百枚近い原稿を躊躇せずに一挙掲載されたのは、画期的なこととか)、その後単行本化されていなかったため、幻の作品と化していました。今は、沢木耕太郎の「ノンフィクション全集Z『1960』」(文芸春秋刊)に収められています。また、この春、単行本となりました。
高度成長、所得倍増、できるはずがないと思われていた時代。下村と対立する(大勢がそうだったようですが)エコノミスト達が悲観論に陥いっているときに、下村だけが日本経済の高い成長力を見通すことができたのはなぜだったのでしょうか。ブレーキを踏まねばならないときにアクセルを噴かせという下村の持論はめちゃくちゃと考えられました。
後に下村は沢木耕太郎のインタビューで次のように語っています。「理論もない。統計も不十分。しかし、現実は動いている。その中で国民は生きている。しかもインフレは昂進していく。なんとかしてインフレのない状態にしなくてはならない。国民生活を安定した状態にしなくてはならない。そうやって、あれこれやっていくうちに、本当に正しい考え方はこうなのかなということが少しずつわかってきたのです。」
そんな下村を沢木耕太郎は「〜もちろん、それだけでは経済は成長しない。増強された設備投資が賢い企業家によって正しく選ばれたものでなくてはならない。またその増強された設備投資を正しく使いこなすことのできる賢い労働者が豊富に存在しなくてはならない。そして、下村は、日本にはその二つが存在すると信じた。つまり、下村は、誰よりも深く日本人を信じたエコノミストだったのだ。(同書より抜粋)」としています。
この、日本を、そして日本人を信じ、命がけで経済予測を立て、それを政策として提言する、これこそが真のエコノミストの役割と言えるでしょう。
ひるがえって、今の日本も、本当は決して楽観の許される状態ではないはずです。不良債権という深い霧に覆われていた時期を脱し、名目経済成長率もプラスに転じた今、ようやく財政についてどのような方向性を選ぶかの争点が薄日の中に見えるまでになりました。ここでの舵取りが、私達のそしてその子ども達の未来を左右します。
政府が描くのは、新産業育成などで名目成長率を4%程度に高め、長期金利を上回るというシナリオです。この場合、数年後に基礎的財政収支を黒字化するために6兆円程度の歳出削減で済むという試算も存在します。
一方、経済財政諮問会議などは「財政再建には最も保守的な数字見積もりで臨む」立場をとっています。政府の見通しとは反対に、金利が成長率を上回る、そうなると13兆円の歳出削減が必要。それはそのまま国民の暮らしに跳ね返るかたちとなり、各種手当の圧縮、消費税率の上げ、などにつながることでしょう。
しかし、私達の耳に優しいかどうかだけを聞くことは許されません。また、厳しいから現実的だということもありません。ここで、一番求められるのは、かつての日本に存在した、国を愛し、人の力を信じることのできるエコノミストの命がけの経済見通しではないでしょうか。下村の考えが結果的に正しかったことだけを評価しているわけではないのです。もちろん、それも重要なことですが、それ以上に、日本経済の将来を予測する仕事は命がけの仕事であった、という事実です。それが示されれば、私達国民も未来を信じ、気力を奮い立たせることができるように思えます。
池田勇人、下村治、田村敏雄、実はこの三人とも、結核や難病を患い(池田は「落葉性天疱瘡」という世界に三人とかの奇病)、一度は自分自身の死を間近に見たあとに、あの高度成長という大仕事を成し遂げた人物であったことも、また驚きと感動を覚えます。
2006年12月